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欲の塊

あの頃のライブは本当にライブという呼称で適しているのでしょうか

 


私ずっとあまりライブって好きではなかったのね。観客からしたらずっと立っていなければならないじゃないですか。もみくちゃにもなるし、そもそもチケットを取る労力、会場まで行く労力も考えるとかなりダルいなと思っていて、10代の頃は音源を聴く量に反してライブはあまり行っていませんでした。よほど好きでないと頑張れませんでした。

20代前半はクラブもよく行きましたがそれはゲストで入れるからで、座れなかったらあんな酒臭くてうるさいところに行きたくありません。まあ、楽しい時は楽しいんですけれど…。

最近はそうでもないですが、当時は盛り上がること自体、マイナスな感情で捉えていました。

自分でお金を払うなら、ゆったり観られるコンサートしか行きたくありませんでした。

それが一転ある時を境にライブに行くようになりました。そう、地下アイドルを知ってからです。

チームしゃちほこには一時期全通していたのは、女性限定エリアがみんな顔見知りになって内輪で盛り上がれるようになったからも大きかった気がします。なんだか学園祭みたいで面白かったのです。多くのオタクはアイドルの子に覚えられようと自己表現をしていて、これはなんだか今まで見てきた音楽のライブと様子が違うぞと思ったものでした。

そのあとBELLRING少女ハートに行くようになりましたが、更にその異様さは際立っていました。ライブは基本的にアーティストから受け取ったらそれで終わりですが、当時の地下アイドルシーンは、遊びまくってた気がします。自己表現と自己表現のぶつかり合いみたいな感じで、あの頃はシーン全体の熱量が半端ではありませんでした。私はその熱量をすきになった。あんな膨大なエネルギーは、生きていてそうそう触れられるものではないでしょう。

あんなに人が感情を剥き出しにして泣いて笑って傷ついて苦しんでもがく様をエンターテイメントとして受け取るのはなんだかいけないことのようにも思えました。しかしそれがクセになりました。ただ、それゆえに、あれらはアンダーグラウンドのままでよかった気がします。

地下アイドルのシーン全体をとおして、なんとなく感情の発露としてその場その場で生まれたものが形骸化して、ある頃から急速になんにも面白くなくなってしまった。見たいものはそれじゃなかった。冒頭で言ったとおり、ただ人が暴れ騒ぐ様なんて不愉快。叫ぶパートだから叫ぶだけなんて、そんなの………。

地上のしっかりしたアイドルさんの"コンサート"を観る方がよっぽど可愛いです。

立ってる脚がまた少しずつ疲れていくようになりました。

自分自身地下アイドルをやってきたけど、自分にはあんなに追い詰められて追い詰められて追い詰められた人間がもがき苦しんでる様が美しい、そんなライブは出来なかったし、そうこうしてるうちに時間だけがたってしまった。

私にとってライブとはなんなのかを問われるとあの頃の一瞬の火花、そこから生まれた膨大なエネルギーでした。

それまで私はずっとゆったり観られる"コンサート"しか好みませんでした。

しかし、果たして私が愛したあの頃のライブは本当にライブという呼称で適しているのでしょうか?

最近は仕事柄、色んなライブを観るようにしていますが、本来はもっとあっさりしているのですよね。観客はもっと真っ当に楽しみに来ているはずです。「そうよね、これがライブよね」と思います。cyberMINKとしての活動ではそれを遂行すべきですし、どんどんドライな視点で見られるようになってきました。やるべき事は明確です。

だからあれは全く別物の現象だったのです。とても局所的な現象に遭遇してしまったのでした。今ならそう思います。当時は若すぎて何も分からなかったけれど。

私は自分自身があんな表現をしたいとは思わないです。というか、できませんし、そもそもあの表現は、若い女の子が追い詰められた末の断末魔みたいなものですから、不可能です。cyberMINKでやるべき事はもっとほかのルートで正解を探り当てていきます。

単純に、あの頃は楽しかったなあという話です。

昔の話ばかりしていても仕方ないですけどね。私はこれからを作っていく側ですから。それは今後の活動で見届けてくれると嬉しいです。

それでは最後までお読みくださりありがとうございました。また。