嘘とか人を騙すって結局なんなの〜
ブログ書くのは久しぶりですね。テキストサイトのデータが飛んだのでこっちに戻ってきました。ここ半年ほど精神的にまずいので今回はおもしろ要素のないぼやきとなり、オチ無し陰鬱文章がお好きな変態さんにおすすめします。
♡♡♡
言葉とは思考回路という過程を経た結果のこと。自分以外の人間の思考回路はトレースできないから、他人がどんな意図でその言葉を発したのか真意を確かめるすべはどこにもない。結局のところ世界は主観でしかない。
「その言葉が嘘かどうかはその人の行動を見ればわかる」と親から教えられてきたが、「行動」を判断するための指標は、やはり最終的には自分に委ねられている。
気づいたら自分の直感だけを頼りに判断するようになっていた。
「お仕事お疲れ様、今日も頑張ったね」
こんなねぎらいの言葉ひとつにも
「心から言ってくれてるな」
「俺のほうが疲れていると内心思いながらも礼儀として言っているな」
「なんの心もこもっていない、空虚なあいさつだな」
などと直感で察知して
「(お疲れ様とか思ってないなら言わなくていいよ。嘘つき)」などと思ってしまい
我ながら非常に面倒だと感じる。
判断基準が自分の直感でしかないため
友人からは「究極のエゴイストだよね」と言われたが、
「最終的に主観の世界なんだからしかたなくない?今自分が知覚している世界が夢じゃない証明なんてだれができる?親友の存在もあたしの妄想かもしれないし…。」と反射的に思った。
この広くて狭い世界で頼りになるのは自分の直感だけなんだよ。
ところで、
「嘘」とは「人を騙すために使う事実と違う言葉」のことである。
どこからどこまでを「嘘」とするかは都度変わると思うが、「人を騙すために」使う言葉という基準は常に軸として使いたい。
いつしか、調理されていない素材のままの、地面から掘りたてのサツマイモみたいに土がたくさんついているままのような、
剥き出しの感情しか「本当」だと思わなくなっていって
きちんと洗ってふかして大学芋に調理したあとの綺麗に整えられた感情は「嘘」だと思うようになってしまった。
言い方を考えたり見せ方をよくしようとするのは健全なことだけど、それはなんのため?
「私にもっと仕事を頑張らせたいから?」
「作品を作って欲しいから?」
それって私のこと騙そうとしてるよね?
瞬間すべてが色褪せちゃって、
急速に全部つまらなくなるの。
本当にどう思ってるか塊のままぶつけてくれ。
ちゃんと受け止めるから。
おかげさまで、気付いたら、
友達はまっすぐな人ばかりになっていた。
そうじゃないと、私が付き合えないから。
友達には心から感謝しているし、救いではあるのだが−−−−−
上記すべて、
自分の直感で断じているに過ぎない。
そこがエゴイストたる所以なんだろう。
また自分自身、他人に言いたいことを言うことが苦手なため、この理屈で言うなら私は大嘘つきである。
占いの先生に言われた。「魚座は周りの人とチューニングを自動的に合わせてしまうから、家に帰って一人にならないと自分の感情が出てこない」と。
そうではない魚座もやまほどいるだろうが、こと自分に関しては満点で正解の分析であった。その人が思っているであろう「ひなちゃんってこうだよね」に擬態するよう努める。
これは反射神経だから自分の意志は関係ない。
なぜそのようになったのだろうか。
答えはひとつしかない。自分を守る為だ。
コンサータがあれば苦手な気分のハイロー調整もうまくできる。元々人間関係は不得意だし気持ちの自己表現は大の苦手分野だ。
ヤク漬けになり、社会で与えられた”役”をこなし、そうやってなんとかしているんだ。
だからツイッターやら文章で殴りつけるように書いてしまうんだな。
ますます自分が嫌いになっていくぜ。
以上まるごとわかってくれる人
いないかな。
王子様を待ってるってこういう気持ちなんだな。お金もいらんしロマンスもいらん。
イケメンでなくてもいい。どうでもいい。
ただわかってくれればよかった。
気持ち悪い女。