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欲の塊

大切なものはほしいものより先にきた

大切な何かができると人は強くも弱くもなるんだなと思った。25すぎるくらいまで、ずっと自分を投げ売るような生き方をしてきたのは、特に大切なものがなかったからかもしれない。私は私の事が大切で仕方がないと思っていたが、他人に責任を持つということは比べ物にならない重みがある。

というわけで、「人権がない代わりに大金を得られる」みたいなことはもう出来なくなった。最近私がよくリツイートしているトンデモ海外案件も20代前半ならやっていたかもしれない。「半年間は金持ちの椅子(文字通り、四つん這いになり椅子になる)として人権のない生活をする」とか、昔なら報酬次第ではやれたと思う。

しかし今はもうできない。そういう意味では弱くなったと思う。

私は「自分自身をエサにして吊られて下からサメが覗いてる」みたいな状況に少し慣れていて、心臓に悪いし、死にたくない感情もあるが、いま私を吊っているこの縄が切れたって、まあいいかと思っていた。本気でまあいいかと思っていなければ、好きにしろよなんて言えないだろう。

「こんなもの要らない」と興味をなくしてから、その対象は追いかけてくるように私を求めてきた。なんとなく、というか、経験上ほしいものは一度突き放すことが大事な気がしている。恋人然り、お金然り。賭け事をするときなんかは特にそうかもね。

本当に欲しいものというのはなかなか突き放せないが、一度本気で身を切られる想いをするとその後不思議と、向こうからついてくるのだ。

中途半端がいちばん、ダメな結果に終わる。たくさん愚かな行動を取ってきたし、まだまだ私は自分に甘く、やり切ることができない。勉強をサボる日や曲を作らず寝てしまう日はまだまだ多く、勤勉の真逆にいるような不真面目な女がこんな言葉を言うのは大変滑稽ではあるが、「やり切ること」と「自分を突き放すこと」が成功法則だと感じている。

「毎日完璧な体調管理をこなしながら致死量ギリギリの毒をいつでも躊躇いなく飲める奴が生き残れるんだ」これはハンターハンターのセリフのひとつで、この世で最も好きな言葉のひとつだ。

言うは易しである。今回の韓国旅行についてはその「ほしいもの」の為に行った。葛藤はあった。自分自身を崖から突き落として、果たして谷底に報酬はあるのか、あってもそれを無事に持ち帰られるのか、わからない。調べつくして現地に友達を作りリスクをなるべく減らし準備を万端にし、なるべく考えうるリスクを減らしてから行った。それでも何があるかわからないのだ。

さて、さきほど日本に着いた。成果はまだわからない。同時にソウルの街も楽しませてもらったし、少し贅沢も出来、羽も伸ばせたし一石二鳥であった。というか白状すると、滞在後半は正直ヤバイかもというくらい贅沢した。酒もタバコもおくすりもやらず、健康な生活がマイブームになってから久しいが、一方でギリギリまで贅沢するのがストレス発散になってしまった。

しっかりしないといけないという気持ちになったのでしばらくは生活に集中できそうだが、それはケツに火がついているからであり、清貧かつ自分を律する事ができる人になれる薬とかないかなー、なんてね。

これからまた日常に戻り、年内は仕事と作曲に集中する。転職が控えているので気が抜けない。転職する気なんかしばらくなかったが、大切なものを守る為に頑張ることにした。

これもまたハンターハンターのセリフなのだが、ジンがゴンに言った「大切なものは、ほしいものより先にきた。」という言葉もまた最も好きな言葉の一つである。

「大切なものは、ほしいものより先にきた。」というのは、「ほしいものを手に入れる過程で集まった仲間たちとその経験こそ、今では最も大切なものである」という教訓だ。

昔はほしいものなんかなかった。

服やコスメを買うことだけが楽しみだった。音楽はすきだった。でも音楽を使ってしたいことがなかった。音楽は私にとってただ、音楽だった。好きな音楽を奏でていたいだけ。

生きる目的がよくわからないまま、可愛いアイドル…というか℃-uteに憧れて、あんな風になりたくてでもなれないことは充分わかりながら地下アイドルをやっていた。

アイドルはひっそりと辞めたが、そのうちお金を稼ぐ事自体が楽しくなり、少ないが情報共有出来る友達も出来た。お金を得るにつれ少しずつ眠っていた内なる自分が起きてきた。こんなに人生っていろんな選択肢があったのかと気づいたが、気づいた時にはもう20代後半だった。これに気付いて10代から努力をしてきた人間とは大きく差がついてしまったし、もうこれらは取り返しがつかんだろうと思うが、それでもこれから50年は人生が続くのだ。やるしかない。

ほしいものというのは段階を踏むごとに徐々にアップグレードしていくものだと思う。いまの私のほしいものは「自由かつ快適で、お金に余裕があり、無理しない平穏無事な毎日」であり、そのための手段としてさまざまな自己実現を成し遂げていきたいと考えている。

少し前まではただ、お金が欲しかった。

現状を抜け出すためにお金が欲しくて、それ以外なにもわからなかった。

始めはただ、ほしかった(これもハンターハンターのセリフである)

がむしゃらだったと思うが、そうしていたらいつのまにか大切なものに出会っていた。そんな感じである。

というわけで、具体的な事はなにも言えないのでよくわからないところもある文章だとは思うが、いずれ全部言えるように諸々成果が出せるといいな。もちろん音楽においてもやりたい事はある し、それはどんどん明確になっている。そろそろ焦って完成させないとな。

やる事だらけでおかしくなりそうだが、一極集中って私はすきじゃない。人間バランスが大事だという考えでいる。ひとつしか強みがない人間はそのひとつが崩れた時に無価値になってしまう。果たして死ぬまでそれだけで食べていけるか甚だ疑問である。分散投資の考えだ。

アーティスト向きの考えではないかもしれないが私にとって音楽とはあくまでも手段だ。

こういう生き方を取るなら、多少無理して努力しないといけないんだと思う。私がブログを書く理由はとにかくモチベーションをあげるためだ。いま自分がなにを考えているかをまとめて、頑張る理由を作って、やるぞーーーって気分になんとか持っていくためだ。ここまで書いて怠惰な生活なんか送ってたらギャグだろう。

私なんか、帰宅後メイクも落としたくなくて、玄関でへたりこむくらい怠け者の人間だ。すぐ太るし、自己管理なんかまるでなっていない。楽な方楽な方に流されて気づいたらアラサーだ。自分のために美味しいご飯なんて作る気になるだろうか。私はならない。コンビニで適当なの買って食べるよ。なる人がいるならそれは才能だろう。

20代前半のころ、ヒモを飼っていたが、あの頃は本当に死ぬほど働いていた。1日12時間から14時間、工場で週6勤務。それでもヒモのためにご飯も作ったし疲れている中セックスも頑張ったな。目を離すとこの人死んじゃうって、本気でそう思っていた。

良いか悪いかはおいといて、何かのためじゃないと人は頑張れないんだと思う。心の底からそう思う。人は誰しも与える側の人間だ。返ってこなくてもそれでいいよ。というか、もうすでに貰っている。君に与える事でもう貰っているんだ。

嫌いなものは嫌い、で別に構わないんだけど

今韓国にいる。思ったより体調が悪く作業が進まずヤキモキしている。韓国は好きだ。パッケージングにおいて本気だ。街自体が綺麗に包装されているかのようだ。形から入るということはとても有用で、人は環境が整えば割とすぐその気になる。その雰囲気作りが恐ろしく徹底している。街に美学がある。ゆえにソウルにいると感性が生き生きするのだ。ここでも物作りをしてみたい!と思える環境がある。


政治においては色々あるにせよ、まあお隣さん同士で仲良くやってる国なんか全世界通してみてもひとつもないからどこもそんなもんだと思う。私が韓国をすきな理由は、「可愛い」にガチな国だからで、可愛ければなんだってオッケーだ。「可愛い」は国境を越えるからね。

一方、政治や歴史について考えることもすきだ。周恩来がすきで近代中国史をきちんと勉強したことがある。それは今の香港の問題や台湾の問題につながっているが、日本からみたら「敵の敵は味方」であっても、実情は、三者の関係はそんな簡単なものではないので、日本目線での捉え方はどうもズレているなと感じることが多い。まあそれはここで話すことではないが…。

私は韓国の歴史をそこまで追って勉強したことがないため明言は避けている。まあ正直、不勉強ながら「う〜〜〜〜ん」と思わなくもないんだが、だからと言って日本人が行ったらヤバイよ死ぬよくらいに心配されるとめちゃくちゃ違和感がある。「そういう思想の人達の集まりに行ったら巻き込まれることもあるかもね」という感じである。

そして、どの国にも良い人悪い人、日本人(アジア人)に偏見がある人ない人がいるから、たとえ現地で例えぼったくられたり物を盗まれたりしてもそれはそういう人だった、で終わりでいいのだ。

限度はありますがね。殴られたり殺されたりしても仕方ないと言っているわけではない。多少の不利益には目を瞑ろうということだ。

大切なのはその人一人ひとりと接することだ。

日本にいる時は目の前の人を「その人一個人」として扱うだろう。しかし国が違ったりすると「その国籍の人」として接してしまう。あれはよくない。付き合うにあたって大事な情報を見落としてしまう。

人を簡単に信用しないのは日本でも同じだ。大前提の基本だ。海外だとなぜか「こっちの人はみんな優しい」と心の壁を取っ払う人がいる。「この道は危ないな」そんな危機管理センサーを切る人がいる。愚か極まりない。危機管理を万全にしてもわけわからんハプニングが起こるのが海外に行くということである。

これらはその人をその人として見てないから起こることだ。外国人として見てるから、心のレンズが曇る。

その思考パターンこそが差別感情を生む根本だと考えている。その人はその人だ。どんな環境でどんな想いで生きてきたのか知る由もない。国籍や性別などを取っ払い個人として接することが出来れば原則、差別は起こらないはずだ。

しかし生きるうえで、偏見もまた自己防衛の為に必要ではあると考える。私は偏見の一切を否定することは出来ない。なににおいても自衛は大切だ。この世の中性善説で成り立つものなんかない。

偏見をもつということは誰かから偏見をもたれても構わないということだ。その覚悟さえあれば振りかざしてもいいとすら思う。自己責任、である。

結論、そこのバランスは個人に委ねられるというわけだ。

以上から私はなにが言いたいかと言うと、極端な思想を持つ人がとても嫌いだということ。

人間最低限の知性があれば極端から極端に飛ぶことなんかない。よほど何かトラウマがあるのか、そうでなければあまりにも視野が狭いとしか言いようがない。

 

だから高頻度で韓国に行く私が気持ち悪いと思うんならどうぞバカにしてください。私も日本をバカにしてくる韓国人は嫌いです。実際そういう人にも会ってきたし、もちろんバカにされたら怒るしそれ以上の付き合いはありません。一方で素敵な友達もいます。そりゃそうでしょ、色んな人がいて当たり前なのだから。言いたいのは、焦点は国籍ではないということ。なぜなら相手は国ではなく、人間だからです。シンプルに考えてください。

…と、そんな風にちょっと思ってしまう事があった。とるに足らないことです。

今回の記事、当然のことしか言ってないんですけどね。

 

嫌いなものは嫌い、で、別に構わないんだけどね。嫌いという感情はどうしようもないものだから。否定はしないけど、良いところを知っている身からすると少し勿体ないなと思ってしまうこともわかってほしいな。おせっかいなのかしらね。

未来があるという事

友人が自殺未遂をしました。全く違う界隈の関係のない友人達が最近だけで2人。

不思議なことに2人とも同じことを言いました。

整形を重ねても綺麗になれなくて、中身も大したことないままで、このまま生きていても仕方がないと

絶望した…と。

自殺を考える時、多くの人はこう感じています。

未来がない、と。未来がないままダラダラ生きるならもう死のうと。

私もネガティブによくなります。特にこれからの季節は尚更です。死にたくなります。しかし実際行動に移すことは、しません。家族をはじめとした、大切な人たちがいるからです。私は幸せ者だと思います。

さて、2人ともとても綺麗な顔だと私は思います。

しかし今私が認識しているその綺麗な顔も整形で作ったものです。

昔の写真も可愛らしさがあって素敵だと思いました。しかし「可愛らしい」と言う言葉は彼女達からしたら侮辱です。その気持ちはわかります。なので言いませんでした。今が綺麗、それが全てです。

SNSには可愛い子達が大勢います。皆努力しています。モテたい、得したい、そんなことはどうでもいい子が多いです。そういう意識以前に私たちは自信がほしいのです。自分が愛されるに足る人間だという証明を求めています。誰が自分を綺麗と可愛いと言おうが、自分で鏡を、他人が撮った写真を直視して、自分自身が納得しない限り、愛される資格が下りた気になりません。

人生はまだはじまっていないとすら思います。納得のいく顔になりはじめて自分自身の人生をのびのび生きられるのだと、そういう歪んだ認知があります。私も頭のどこかでそう思っています。なので彼女たちの気持ちは痛いほどよくわかります。

「本当に死ぬかも」そう思った時に思い浮かんだ母の顔がなければ私も行動に移していたかもしれません。

多くの女性は容姿の他に勉強も頑張っています。語学やビジネス、投資、その他専門分野。私の友人たちは本当に皆努力家です。

2人も、留学や就職を控えていました。

外見だけではこの先食べていけない事をよくわかっています。

しかしやはり絶望はいつも容姿がきっかけです。どうしてでしょうか。なぜなら、他ならぬ自分が容姿至上主義だからです。社会がそうさせたという側面もあるのかもしれません。実際のところはわかりません。しかしはっきりしていることがあります。ブスを見るときの感情を自分で見つめ直してみると、恐ろしく冷たい気持ちになっている事を知ります。正直に言いましょう。私はブスが嫌いです。そして私が1番私をブスだと思っています。

そしてそんな女の子は、とても多いのではないでしょうか。

前回の記事で申し上げた"呪い"とは、噛み砕いて話すとこんなところでしょう。難しいですが、容姿の事を考えないことが呪いが解けた状態です。この世の中にはそこまで顔が整っていなくても幸せな人は大勢います。これを言うと一部の女の子はこう反論します。「そんな人生は求めていない」と。

幸せになれないから死にたいという声を

毎日のように聞きます。矛盾している事はよくわかっています。

どうすれば幸せになれるかは自分自身の問題です。私は私なりの幸せを探しますし、それは他の誰とも比較できる類のものではありません。幸せを見つけられる、それ自体が一種の才能なのかもしれませんね。しかし不器用な人間にとってはそうはいきません。トライアンドエラーと、もがくことです。おかげで、最近はなんとなく形が見えたような気がします。

彼女たちも生き残ったのだから今後自分なりの幸せの形を見つけて欲しいと願っていますし、更なる絶望はもう与えないでほしいと思います。

環境がそうさせたという側面も十二分にあります。それについてもっと周りの人は考えるべきです。

なんにせよ生きていてよかった。

未来があるということほど、尊いことはないと信じています。

呪いの解き方

自信をなくすとなにもできないんですよね。

 

私が今まで続けてきた勉強って音楽しかないのですが、理論の勉強が好きだなんてオタクのようで気持ち悪いとずっと思ってきたし、そんな事言っても引かれちゃうし、理解してくれる人は相当少ないでしょうし、音楽について自信を持ったことなんか、生涯で一度もありませんでした。まだ歌や演奏が上手なら、それはわかりやすい長所だと思いますが、そういう面にはあまり強みがないものですし、何より自分がやる事じゃないなみたいな諦めが小学生の頃からあったような気がします。オタク・陰キャ、そんな言葉だけが頭をぐるぐるしていましたが、多分私は根本的に好きなことなら無限に勉強できるのでしょうね。私は小さな頃からずっと可愛いものと小難しい音楽が好きで、学び続けたいと思っています。しかし、それは自分の中で長所とは思えませんでした。ただ、すきだから。すきだからやってきたことです。

だから可愛くなりたいと思っていたし今でも思っています。私が自分に自信を持つにはそれしかないと思って、10代から可愛い自分を渇望してきました。しかしやはり現実とは突きつけてくるもので、諦めなければならないことを悟る度に悲しいです。私はどうしてこんな顔なんだろうと、毎日思っています。慰めがほしいわけではなく、ただ思ったことを書いています。

可愛くないのに売れている女が心底嫌いです。可愛いという要素はとても主観的なものではありますが、主観的だからこそこんなにも拘ってしまうのでしょう。ただしかし、自分は可愛くないのです。なにをどうやっても、可愛くありません。

私は私のままたとえ有名になっても、きっと自分を許せないと思います。

こんな顔に生まれてきた自分を

そのまま生活してきた自分を

許せません。

 

曲を作ってきたのはただ好きだからです。何の意味もないと思ってきた勉強を続けてきたのは好きだからです。大人になって、好きではない事もやらなくてはいけないことも増えました。好きではない事を好きなふりをしてやり遂げなければならないことも増えました。それでも自分のことを可愛いと思えればそれだけで心は少し華やかに色づくでしょう。そのくらい私は自分の自尊心を可愛いという要素に依存してきました。

さて、つい最近二つ、自分の中で心が動くことがありました。

ひとつは映画「ジョーカー」を観たこと。人によって意見がかなり分かれる映画ですが私にとっては希望になりました。こんな暗く陰鬱な題材・表現が今の日本で共感を呼び受け入れられ、たくさんの人に支持されていること。それに安心しました。

ネガティブなパワーって、言葉では到底表しきれないものだと思うんです。強い衝動は、言葉で表現しようとした瞬間、少し陳腐化します。塊の暗いエネルギーを真っ向からぶつけてくれた。ジョーカーはそれが本当に気持ちよかった。

最近インスタでよく言っている「インストをやりたくなった」というのはこれが動機です。というか、ジョーカーを観て更に加速しました。衝動の塊の瞬間最大風速を落とさずに表現する方法がわからなかった。何かに対する「死ね!」というどうしようもない衝動って言葉にできないでしょう?言葉にしたらなんだか安っぽくなるでしょう?こんなに毎日怒りを抱えて、暴力をふるいたい気持ちを抑えているのに、ジョーカーのように銃を持ったら制御できない自分をどこかに感じているのにもかかわらず、うまく伝える術がないと思っていたけど、多分歌を乗せなければうまくハマるんだと思いました。おそらく歌がないほうが感情も乗せやすいでしょう。ジョーカーには不要な言葉は何1つなかった。シンプルでした。彼が人を殺した時、えもいわれぬ爽快感がありました。それはアメコミ特有のスカっとさせる演出にあると思いましたが、衝動を解放するという手段としてはとても合理的ではないですか。エネルギーの塊で殴るような曲なら、わたしにも作ることができます。

もうひとつは、私の曲を作る能力は素人から見たらなんだかすごい風に映ることを知ったことです。

コード進行のセオリーもソロのセオリー、各ジャンルの特徴もまあまあ頭に入っているし、打ち込みも慣れているから、リクエストをもらえれば簡易的な曲ならぱっぱと作れてしまうんですが、人前でそれをやってみせたらめちゃくちゃ凄いと言ってくれました。「え?これって凄いことなの?」と拍子抜けしました。凄いことをやっている自覚、本当にないんです。むしろ気持ち悪いことをしていると思っていました。だから信頼してる人にしかこんなことはしないけど、凄いと言ってくれた事は本当に励みになった。今までは凄いねと言われてもお世辞だと受け取ってきましたが、信頼してる人から言われたのが大きかったのだと思います。それもあり最近は、何か自分なりにできる仕事はないかと模索していましたが、副業として音楽の先生をやれるんじゃないかと、そう思うようになったのです。それを受けてのインスタでの音楽講座だったり、転職だったり、です。

 

ところで、出来る事が1つしかないというのは怖いと私は思っています。選択肢があることが大事です。出来ることがひとつしかないと、交渉の場にすら立てません。何かアクシデントがあったり、時代が変わったり、人生とはわからないことだらけです。それゆえに、強くなりたくてもがいてきました。しかし、おかげでなんとなく30歳を迎えるまでにやらなければならない事は見えた気がします。

先生なんて、本来は考えた事すらありませんでした。でも気づいたら人に教えることが出来るくらいには理論を勉強してきました。楽譜も読めます。本来はポップスを作るにはそんな能力必要ないんです。でも私にとっては小難しいことを考えることが楽しくて音楽をやってきたという積み重ねがありました。そんなことにすら気付けないほど、私は自信がありませんでした。また、音楽ではなく別のことに自尊心の拠り所を求めていました。可愛くなりたいということ。

おそらく呪いのようなものです。この呪いにかかっている女の子はとても多いと思います。引き摺られると大変なことになります。

私は最近、呪いの解き方を知りました。

27歳目前にして、ようやく呪いの解き方を知りました。

これからは少しだけ解放されて、自分の受け入れ方を知っていけると思います。

それは良い人との巡り合わせや環境のステップアップなど、運のおかげもあったと思います。

 

でも依然として可愛いものは好きです。私と可愛いものを一緒に作ってくれる女の子はずっと探しています。私は音で、誰かはデザインで…。または絵や、服や、映像、なんでもいいのですが、絶対に女の子がいい。やはり秘密基地は心の中にひとつは持っておいた方がいいです。それは怒られることではないです。一生乙女心を持っていたいですが、秘密の基地であるべきなので、隠すことを覚えました。気長に仲間を探します。

 

素敵な30代に向けて明日も頑張ります。

人生はまだまだこれからなので。

あの頃のライブは本当にライブという呼称で適しているのでしょうか

 


私ずっとあまりライブって好きではなかったのね。観客からしたらずっと立っていなければならないじゃないですか。もみくちゃにもなるし、そもそもチケットを取る労力、会場まで行く労力も考えるとかなりダルいなと思っていて、10代の頃は音源を聴く量に反してライブはあまり行っていませんでした。よほど好きでないと頑張れませんでした。

20代前半はクラブもよく行きましたがそれはゲストで入れるからで、座れなかったらあんな酒臭くてうるさいところに行きたくありません。まあ、楽しい時は楽しいんですけれど…。

最近はそうでもないですが、当時は盛り上がること自体、マイナスな感情で捉えていました。

自分でお金を払うなら、ゆったり観られるコンサートしか行きたくありませんでした。

それが一転ある時を境にライブに行くようになりました。そう、地下アイドルを知ってからです。

チームしゃちほこには一時期全通していたのは、女性限定エリアがみんな顔見知りになって内輪で盛り上がれるようになったからも大きかった気がします。なんだか学園祭みたいで面白かったのです。多くのオタクはアイドルの子に覚えられようと自己表現をしていて、これはなんだか今まで見てきた音楽のライブと様子が違うぞと思ったものでした。

そのあとBELLRING少女ハートに行くようになりましたが、更にその異様さは際立っていました。ライブは基本的にアーティストから受け取ったらそれで終わりですが、当時の地下アイドルシーンは、遊びまくってた気がします。自己表現と自己表現のぶつかり合いみたいな感じで、あの頃はシーン全体の熱量が半端ではありませんでした。私はその熱量をすきになった。あんな膨大なエネルギーは、生きていてそうそう触れられるものではないでしょう。

あんなに人が感情を剥き出しにして泣いて笑って傷ついて苦しんでもがく様をエンターテイメントとして受け取るのはなんだかいけないことのようにも思えました。しかしそれがクセになりました。ただ、それゆえに、あれらはアンダーグラウンドのままでよかった気がします。

地下アイドルのシーン全体をとおして、なんとなく感情の発露としてその場その場で生まれたものが形骸化して、ある頃から急速になんにも面白くなくなってしまった。見たいものはそれじゃなかった。冒頭で言ったとおり、ただ人が暴れ騒ぐ様なんて不愉快。叫ぶパートだから叫ぶだけなんて、そんなの………。

地上のしっかりしたアイドルさんの"コンサート"を観る方がよっぽど可愛いです。

立ってる脚がまた少しずつ疲れていくようになりました。

自分自身地下アイドルをやってきたけど、自分にはあんなに追い詰められて追い詰められて追い詰められた人間がもがき苦しんでる様が美しい、そんなライブは出来なかったし、そうこうしてるうちに時間だけがたってしまった。

私にとってライブとはなんなのかを問われるとあの頃の一瞬の火花、そこから生まれた膨大なエネルギーでした。

それまで私はずっとゆったり観られる"コンサート"しか好みませんでした。

しかし、果たして私が愛したあの頃のライブは本当にライブという呼称で適しているのでしょうか?

最近は仕事柄、色んなライブを観るようにしていますが、本来はもっとあっさりしているのですよね。観客はもっと真っ当に楽しみに来ているはずです。「そうよね、これがライブよね」と思います。cyberMINKとしての活動ではそれを遂行すべきですし、どんどんドライな視点で見られるようになってきました。やるべき事は明確です。

だからあれは全く別物の現象だったのです。とても局所的な現象に遭遇してしまったのでした。今ならそう思います。当時は若すぎて何も分からなかったけれど。

私は自分自身があんな表現をしたいとは思わないです。というか、できませんし、そもそもあの表現は、若い女の子が追い詰められた末の断末魔みたいなものですから、不可能です。cyberMINKでやるべき事はもっとほかのルートで正解を探り当てていきます。

単純に、あの頃は楽しかったなあという話です。

昔の話ばかりしていても仕方ないですけどね。私はこれからを作っていく側ですから。それは今後の活動で見届けてくれると嬉しいです。

それでは最後までお読みくださりありがとうございました。また。

キレートレモンでは肌は綺麗にならない

キレートレモンでは肌は綺麗にならないので10代美容垢の言うことなんて間に受けてはいけません。早いうちから努力をすることは大事ですが、「運動が何より今後の肌と体重維持に効果的ですよ」、なんて正論はこの歳の子達にはあまり通じませんね。なにせ、少し食べないだけですぐ体重が落ちるんですから、断食が手っ取り早いに決まっています。10代というのは、肌質が生まれつき悪いと言うわけでなければたくさん寝ればそれだけで綺麗になるような、そんな年頃ではないですか。

私は10代はとにかくお金を稼ぐ準備をすることの方が大切だと思います。なぜなら

 

25歳までの可愛さは才能が8割

25歳以降はお金と余裕が8割

 

だからです。

お読みいただいてる皆さまにも身に覚えはありませんか?あんなに可愛かった同級生が、久々の同窓会では埃をかぶったようになってしまっているという現象。もちろんその逆もあります。

私は10代の頃よく言っていました。27歳で死ぬと。周りのメンヘラもよく「若くて綺麗なうちに死ぬ」と言っていましたがまだ全然みなさんご存命です。

さて、女性の7割が80歳まで生きると言われています。30歳を超えてもまだ50年残っています。

バカみたいな話なんですが、私つい最近まで、若さをなくしてからのほうが人生長いって、知らなかったんです。

若さを無くしたら空っぽな事がバレてしまうような子にとっては特に重大な問題です。25歳以降は外見の維持の難しさのハードルが高く高く上がります。上の方は見えません。どうすれば超えられるのでしょうか?答えはお金です。カイジみたいなこと言ってますがこのハードルはお金で買うのです。お金と心の余裕、真っ当に大切にしてくれる男性、充実した毎日、全て揃えば尚良いでしょう。

散々言われていますがキレートレモンはただの糖質なのであんなものはジュースで、ビタミンCの量も大したことありません。あれを飲むならサプリを用いるか、私なら直接注射します。

これは大原則なのですが、効果の大きさは  メス>注射>経口摂取>塗る  だからです。(日焼け止めを除く)

名前に惑わされず、きちんと成分を見て、注射をする。キレートレモンの何十倍も金額はしますが、それがお金で買うということです。

シミが消えないならどんな高級化粧品よりもレーザーで焼いてしまうことです。

逆にいうとある程度美しさはお金で買える時代ですし、すなわち、若い頃は美しくなかったとしても、生き方次第で追い越せるようになったという事だと思っています。というか、でなければ救いがありません。

そろそろ食べないくらいじゃ痩せないと言う声をたくさん聞くようになってきました。私もです。普段は1日1食(しかも理由が胃もたれ)なのに体重は変わりません。筋肉をつけるべく通うジム。毎日のプロテイン。私は筋肉がつきづらい体質なので人の倍量飲めと言われました。

でもね、これはきっとまだまだ変われるというサインだから私はお金を出すし、かつ手間暇かけますよ。

母はよく言っていました。「10・20代に綺麗でいても、周りもみんな可愛いんだから埋もれるでしょ。30代以降綺麗だと、すごく目立つの。授業参観がすごく楽しいの。」と。確かに私の母は50歳の今もとても綺麗な顔をしています。

「どうすれば綺麗になるの?」と子供ながらに聞いたんですが、お金とも余裕とも言いませんでした。「選ぶ男次第かなあ。」とのことでした。女としてカッコいいですね。見習いたいものです。子供ができたら私も言いたいな。

などなど偉そうなことを言いながら、朝ごはんはチョコパンを食べてしまいました。脂質制限中なので不適切です。現在上海滞在中ですが、どうしても中華料理は油が多いので、ゼニカル持ってこればよかったな。

しかし、脂質制限をはじめてみたら糖質制限よりもずっと身体の調子がよいです。痩せるかどうかはまだわかりませんが、まず、酷い胸焼けがなくなり、胃もたれが軽減しました。

脂質制限をはじめたきっかけは、肥満遺伝子検査にて、脂質の代謝が苦手なことと、タンパク質を主エネルギーにしてしまうため筋肉がつきづらい(日本人の16%しかいないそうです)という結果が出たからです。

肥満遺伝子検査はやって正解でした。皆さんにもオススメします。

筋トレと糖質制限を併用するパターンが多いですが、なにが自分に向いているかは自分にしかわからないので、自分なりの型を作ることがなによりも大切ですよね。そういえば投資についても同じことを与沢翼がつい最近つぶやいていたな…。

最後に。いつも言っていることですが、女の子はみんな可愛いなんて、それはただの思考停止です。もともと才能のある人か、掴もうと思い適切な行動をした人だけが手に入れられるのです。

でも可愛くなれない人なんて誰一人としていません。絶対にそうです。頑張りましょう。

それでは、最後までお読みくださりありがとうございました。

女性はなぜ何本も似た色の口紅を買うのか

自分の一番すきな色について考えていました。考えれば考えるほど、どの色も素敵です。私は細やかな色の違いについて考える事がとてもすきです。要は一口にピンクといってもさまざまなピンクがあるという事です。

淡くオレンジ味を帯びたピンクは陽だまりのような、暖かく可愛らしい印象があり、濃く青みを帯びたピンクは、華やかで夜のネオンが似合う女性の印象があります。


私は恐らく、ピンク系の口紅やグロスだけでも20個は持っています。オレンジ系に至ってはもっと持っています。大した数ではありませんが、似たような口紅を何個も購入することは、少し変わった行動のように思われることがあります。お読みの皆さまはどうでしょうか。やはり奇怪にうつりますか?


色とは、メイクにとても関わる重大事項です。どの色にするかを、リップから決めるのか、アイシャドウから決めるのか、チークから決めるのか。

服の色や髪の色によっても取り扱いは変わります。

例えば彼氏とのデートの前日からは、全身鏡とにらめっこしながらああでもないこうでもないと考えます。それはとても楽しいことです。

そのロマンは彼にわかってもらえなくても構いません。すきな人のために色を選ぶのは押し付けてはなりません。自己満足として消化してしまえばよいのです。


決め手はいつも違います。気分もとても大事ですが、個人的には季節感のないお洒落なんてないと思っているので、それに従うことがマイルールではあります。秋なら秋らしくあることが大事です。


なお、髪色・メイク・服全てが調和している必要があります。音楽的に言うとこれはハーモニーに近い要素があると考えます。

1・3・5度でできた長和音、これは最も安定したハーモニーです。色もそうです。同系色で全てまとめきるとそのような印象になります。

△7を足すと少しオシャレになります。さらに9thや13thを足すと、よりこなれた印象になるでしょう。

不協和音になるギリギリを楽しむことがすきです。しかしこれは私がある程度音楽理論をわかっているから出来ることです。

色彩理論をきちんと学んでいない私はそこまでの冒険はできません。

しかし、音の考え方になんとなく当てはめることで、初歩の真似事は出来ているかもしれません。


長々と書きましたが、デートの前日はかくも重大な脳内会議が開かれているのです。

下着の色まで拘って決めなければなりません。


そうして本気で選んでみれば、正直、毎回超可愛いのです。青とオレンジで夏らしく。白とピンクで女の子らしく。ベージュとブラウンで大人らしく。

そう、どの色味も最高に愛おしくて1番なんて、

とてもじゃないけど決められないのです。

けれども、味方の色というのはあります。どんな色の組み合わせに持ってきてもしっくりくる、チートともいえる色。きっとその色が私のことを大好きなのでしょう。だって、似合って仕方がないのですから。恐らく、誰しもが持っているはずです。

私にとってはそれは、シャンパンゴールドです。

いつでもどこでも支えてくれる色です。心の支えとも言えるでしょう。

靴やアクセサリーや爪や、小物など、私はもう彼女を手放せません。

しかし最も好きかと言われると、他の色を見るたびに目移りしてしまいます。

今秋は落ち着いた印象をだすため、また普段チョイスしない色としてパープルを効果的に使いたくて、髪の色をラベンダーアッシュにして、爪にも少し入れました。そうなってくると普段のメイクにももちろん影響します。紫が強い暗い茶色と、プラム色のチークを購入しました。

下着については、つい最近saluteの新作が入荷しましたが、それがパープル×イエローの色味でした。私がよく身につけるシャンパンゴールドとも、ラベンダーの髪色とも、ラベンダー×シャンパンゴールドの爪色にも、相性が抜群ではないですか。想い想われています。saluteを愛してやみませんが、愛されているなとも感じてしまうのは、商売の巧みさゆえでしょうか。


さて、いざ着けてみました。

すると、感情が溢れてとまらなくなりました。

単純に物凄く可愛いのですが…なによりも、

私はこんなにも紫を愛していたのか、と深い愛情を確認すると共に、切なくなったのです。


なんとなくイエローベース春と相性の悪いパープルは、敬遠してきました。

しかし、身につけてみると、こんなにも高貴で艶やかさを表現できる色は他に無いのではないかと思うほど、尊いものに思え、より世界が広がった気がしたのです。私はこれを身につけているのです、上に何を重ね着ていても、下に着けているのはこの贅沢なランジェリーです。考えてもみてください、甘酸っぱさを身に纏うということ。こんなに自信を持てることがほかにあるでしょうか。

パープルの持つ高貴さで

私まで気高くなれた気がしました。

色の魔力というのは恐ろしいです。頬と唇に明るいコーラルピンクを乗せると、幸せそうに見えるのです。たとえその時幸せでなくても。

コーラルピンクひとつとっても違いがあります。私はそれについて考えることもすきです。

ところで、冬は思い切って真っ赤なネイルに挑戦してみたいです。私の中でいい女のステレオタイプとして、「真っ赤な爪」があり、爪にはいつも赤を携えていたいという憧れがあります。しかし、私がそういった強い色を纏うのは、なんだか気が引けてしまっていました。

しかし、こういった言葉があります。

「一粒の大きなダイヤの指輪を毎日つけるようにしたら、その女の子はみるみるうちに垢抜けた」というものです。これはその女の子がダイヤに見合うよう努力したということです。私もダイヤではないですが、身に覚えがあることです。そしてダイヤの指輪はとても欲しい、です、が

脱線しましたが戻りましょう。

私にとって赤とは憧れの色です。美しい女性をより美しくするための色です。その中でも真紅が似合う女性は切れ味が違います。存在にも切れ味があるような気がします。彼女たちはその空間を切り裂いています。いつかそのように美しく凛とした女性になりたいなと思っています。

冬こそ真紅のような少し重たい色が最も映える季節だと考えます。春からはおそらく朱赤などのほうが適しているでしょう。

そうして少し背伸びをしながら、最もすきな季節である春を待ちます。

ここまで書いて、いちばんすきな色はない事に気付きました。全ての色がすき、色自体がすきです。ただ、最も心躍る色はあります。やはり春を彩るピンクです。

春は私の季節です。誕生日と共に春が来て、花が咲いて、全てが動き出します。オレンジや黄色や淡いピンクは、私のためにあるのかもしれないと思うほど、得意な色です。そういう意味では最も仲良しの色はこの辺りでしょう。

そして私はオレンジ色のコスメが大好きです。どんなオレンジでも似合ってしまいます。恐らく持っている数は50を下りません。

オレンジと一口に言っても、ピンクに近かったり、赤に近いもの、黄色に近いもの、様々な濃淡や質感があります。それらを並べて、今日はこんな唇で彼にキスをしたいな、などと考えながら選ぶことを考えてみてください。あまりにも豊かな時間だと思いませんか。

ここまで読んでくださった皆さまには、女性が何個も似たようなリップを買ってしまう理由をわかっていただけた気がします。似たような色に思えるでしょうが、全て微妙に違い、その差異は決して矮小ではなく、どれもが暗いセピア色の日常に色を乗せてくれて、わくわくさせてくれるものです。纏うと、華やかになれた気がします。それは魔法といって差し支えないでしょう。

使い方を間違えなければ、自分に自信をもたらしてくれます。誰でも、です。綺麗になれない人なんていません。

だから愛が止まらないわけです。

明日はどんなお化粧で外に行こうか、いまから楽しみですし、私の頭の中はいつも煌びやかなものでいっぱいです。私が鳴らす音楽も、それを反映してるかのように煌びやかですよね。

色とりどりな様が大好きなものですから。

そして、感性を鋭く保ちアンテナを常に張っておくことと、メイクポーチや収納・パッケージは全て綺麗にしておくことも大切です。これらは美学です。美学とは誇りです。誇りとは、色を愛する気持ちたちのことです。

将来の伴侶じゃないんですから、口紅は一本に決めなくてもよいのです。全てを愛し切る覚悟で、お化粧しましょう。とてもロマンチックでしょう?


では、最後まで読んでくださりありがとうございました。

以上、もっと素敵な女性になれますように。